私が主宰する経志塾という名前にも使っている「志」。
改めて志とは何か、を考えてみました。
よく夢や志を持つ、と言いますがどのような違いがあるのでしょうか?
日常ではなんとなく使っているけれど、どこか混同している感があります。
夢を見ると言っても志を見る、とは言いません。
志を立てる、と言っても夢を立てるとは言いません。
高い志と言いますが、低い夢、とは言いません。
つまり明らかにこの2つの言葉は似ているけれど異なるわけです。
では何が違うのか。
私はステージ、次元の違いだと思います。
夢はビジョンだったり、こうなりたい、という姿や実現したい事物。
志は人生理念、生き方、こうありたい、という姿勢。
志という土台の上に色々な夢がある。
さらにいえば、夢がより具体化して目標になり、目標は具体化して計画になり、年間計画、月間計画と細分化して日々の実践、行動となり、結果として実現していく。
だから基礎の志が低かったり、曲がってたりすると、夢も自分勝手なものになってしまうかもしれません。結果、実現される世界はカオスです。
人は群れで生きる動物。
社会性を無視しては生きて行けません。
ですから土台となる志には他者との関係性が含まれてきます。
社会性があります。
そこで思い出したのが、映画スパイダーマンに出てくる台詞。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」。
生きる上で、どのように生きるも、どんな夢を叶えていくも本人の自由。けれどその自由は無制限ではないのです。
人間社会で生きる以上、両腕を振り回して他者を傷つける自由は認められません。
では、どのように生きるのか?
その質問に対する個々の答えが、それぞれの志です。
さらに。
人間も自然界に生きる生物の一種。
地球を舞台に、その頂点に君臨する人間は地球の全体最適を維持する大きな責任を負ってます。全体を破滅へと導く大いなる力を持つが故に。
だから。志は高く‼️